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御聖誕八百年を御報恩で迎える

(※この書簡は正信会の全住職に送付したものです。)

書状

令和2年に続き、コロナ禍の中で御聖誕八百年という佳節を迎えました。

御聖誕八百年にあたり、私は「日蓮大聖人の真の末弟であるのか」ということを、宗門・正信会の全ての僧侶が省みるべきと考えます。

今や宗門は、時の「御法主上人」に信服随順することが、あたかも日蓮大聖人を正しく信仰していると信徒に錯覚させています。

いわく“唯授一人の血脈を否定することは日蓮正宗七百年の歴史を否定することであり、それは遡って日蓮大聖人を否定しているのだ”と。

また、“本門戒壇の大御本尊を直拝しなければ功徳がない。それには日蓮正宗に問答無用で帰依しなければならない”等との主張を繰り返しています。

池田大作の正本堂の謀りに協力し、御本仏日蓮大聖人の御遺命たる「国立戒壇」建立を否定し、大聖人様の御意に背き奉る立場で何をいうのかと、情けなさしかありません。

第二祖・日興上人は「時の貫首たりと雖も仏法に相違して己義を構えば、之を用うべからざる事」と仰せになっておられます。

先ずは過去の事実をしっかりと検証し、それが日蓮大聖人の御意に適ったものであるかを再認識することが必要不可欠です。

私はこのことを「過去の清算」と呼んでいます。

いずれ、御遺命の国立戒壇を堅持する貫首上人が正しく判断し、清算されるものと強く確信しており、その方に信服随順すべきと思っております。

今は、その実現のために随力弘通を成すことが御聖誕八百年を迎える一番の御報恩と考えております。

さて、過去の事実の中で最も検証しなければならない一大事。それは正本堂建立にあたって出された日達上人の「事の戒壇」についての訓諭です。

すなわち、昭和47年4月28日に発布された「日達、この時に当って正本堂の意義につき宗の内外にこれを闡明し、もって後代の誠証となす。正本堂は一期弘法付嘱書並びに三大秘法抄の意義を含む現時における事の戒壇なり。即ち正本堂は広宣流布の暁に本門寺の戒壇たるべき大殿堂なり」との訓諭について、これを正当性のあるものとして今後も継承して行くのか、もしくは「時の貫首たりと雖も仏法に相違して己義を構え」たものとしてこれを用いないのか、という問題であります。

私は、この訓諭は創価学会の権力・金力に諂ったがために御本仏日蓮大聖人の御心に反した由々しき己義だと確信しております。

また、日達上人は「国立戒壇」について、昭和45年5月、創価学会本部総会でこのように述べました。

「わが日蓮正宗においては、広宣流布の暁に完成する戒壇に対し、かつて『国立戒壇』という名称を使っていたこともありました。」

「今日では『国立戒壇』という名称は世間の疑惑を招くし、かえって、布教の邪魔にもなるため、今後、本宗ではそういう名称を使用しないことにいたします。」と。

本宗七百年来の宿願たる国立戒壇を叫ぶことで「世間の疑惑」を招き「布教の邪魔になる」と、取って付けた理由で簡単に捨て去りました。

当時の創価学会が政治野心のために公明党を結成し、その野望を擁護するためだけに「国立戒壇」を捨て去ったのです。

いくら日達上人が血脈相承を受けた貫首上人であったとしても、御本仏日蓮大聖人に対し奉り師敵対の己義を構えたのであれば、我々はこれを唯々諾々と随順する訳には参りません。

近代宗門史を紐解けば、「国立戒壇」が七百年来の宿願であったことは疑いありません。

第59世日亨上人は、「日蓮正宗総本山大石寺誌」の中で、「弘安五年宗祖聖人入滅ノ前ニ六老ノ中ヨリ特ニ日興上人ヲ挙ゲテ一ハ身延ノ院主ヲ嘱シ一ハ富士国立戒壇ノ大事ヲ命ス」と記されています。

第64世日昇上人は、昭和30年の奉安殿落成慶讃文の中で、「国立戒旦の建立を待ちて六百七十餘年今日に至れり。国立戒旦こそ本宗の宿願なり。」「『時を待つべきのみ事の戒法とは之れなり』の金言を身に体し、必ず来るべき国立戒旦建立の暁まで守護すべし、後々の法主も一心同体たるべきと確信す。」とのお言葉を述べられています。

第65世日淳上人は、「大日蓮」34年1月号の中で、「この元朝勤行とても、宗勢が発展した今日、思いつきで執行されたというものでは勿論なく、二祖日興上人が宗祖大聖人の御遺命を奉じて国立戒壇を念願されての広宣流布の勤行を、伝えたものであります。大石寺大坊棟札に『修理を加え、丑寅の勤行怠慢なく、広宣流布を待つ可し』とあるのが、それであります。」と仰せであります。

さらに第66世日達上人も当初は、「真の世界平和は、国立戒壇の建設にありと確信して本年も益々折伏行に徹底邁進せられんことを願う。」「富士山に国立戒壇を建設せんとするのが日蓮正宗の使命である。」と、国立戒壇について指南をされております。

それが、創価学会に諂うあまり、「世間の疑惑」「布教の邪魔になる」などというばかげた理由で「国立戒壇」を捨て去り、こともあろうに正本堂をもって「事の戒壇」としてしまったのです。

今や、その日達上人も、当時、教学部長であった阿部日顕師も亡くなり、創価学会は宗外にあり、当の正本堂も日顕師によって破壊され、歴史の一頁となってしまいました。

だからこそ、後世に受け継ぐ者が客観的な検証を行い、その「清算」を行わなければ、真の広宣流布は永久に望めないこととなってしまうでしょう。

そして、宗門の師敵対が、立正安国論に仰せの通りの、現在の悪鬼乱入の世相として顕われているのです。

昨今の宗門・法華講は、「国立戒壇」という名称をあたかも顕正会が田中智学から盗み取った造語などとたばかり、近代上人方の思いを愚弄しております。

さらには「御遺命」を放棄したから当然といえば当然ですが、御遺命自体の定義を変え、ただ唯授一人の血脈を受けた時の貫首上人を拝し奉ることが日蓮大聖人の御遺命とすり替えています。

日蓮正宗宗務院発行(昭和53年4月28日版)の「日蓮正宗要義」には、三大秘法抄を詳細に解説した後に、「故に此の書を残されて以来七百年になんなんとする今日まで、門下中独り我が日蓮正宗のみがこの戒壇建立の大精神を奉戴し、烈々たる信念を以てその御遺命の実現に邁進して来ている。また日興上人への相承書、一期弘法抄には富士山をもって戒壇建立の霊地と定められている。」(109頁)と書かれています。何処にも唯授一人の血脈を受けた時の貫首上人を拝し奉ることが日蓮大聖人の御遺命とは記されておりません。

他方、日蓮正宗正信会は、第66世日達上人を旗頭として正信覚醒運動を展開していましたが、その正信会僧侶の中に、「『一期弘法抄』に御真蹟がなく偽作と疑われていることは小僧でも知っている。一般論なら偽作の疑いがある文章は、はなもひっかけないというのに、どうして他の誤りを責められようか。」と、最も重要な日蓮大聖人の御付嘱状を「偽作の疑いがある」などと蔑む者まで現れています。

「国立戒壇」の大事を捨て去った日達上人でさえも、「国立戒壇と云う名前を使わないと言っても、決して三大秘法抄の戒壇の御文、或は一期弘法抄の戒壇の御文に少しもそれを否定したり謗ったり、或は不敬に渉る様な事は少しもないのでございます。」と言われているにも関わらず、です。

このような濁乱の世上において、私は本門戒壇の大御本尊を末法における唯一無二の大御本尊と信奉し、将来において英邁な御法主猊下が現れた折には、その猊下の指揮のもと広宣流布を成し遂げ、その暁には必ずや大聖人様の御遺命たる「国立戒壇」の建立が実現できることを信じ、昨年「冨士大石寺正信会」を立ち上げるに至りました。

ここに御本仏日蓮大聖人の御聖誕八百年を迎えるにあたり、冨士大石寺正信会は、信仰と志を同じくする冨士大石寺顕正会とともに、師敵対に陥った現在の宗門(日蓮正宗)ならびに正信会を糺すとともに、御本仏の御遺命たる国立戒壇建立に向けて共闘して参る所存であります。

以上