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書状

(※この書状は、令和元年11月に日蓮正宗正信会住職の立場で冨士大石寺顕正会に宛てたものです。顕正会の令和元年11月度総幹部会で発表して頂きました。)

書状

私は日蓮正宗正信会に所属し、現在は愛媛県の興正院という寺院で住職を務めております足立淳正と申します。

本年、四国の川﨑泰之・第15男子部長と知り合い、数度にわたりお話をさせていただきました。

そのなか、顕正新聞特集号や9月度総幹部会のDVDを拝見し、浅井会長の御慈愛あふれる御指導と、顕正会の皆さまの広宣流布を見つめた熱意に接し、私も決意を新たにしております。

さて、日蓮正宗正信会は、昭和52年より創価学会の独自路線に危機感を抱いた活動化僧侶が「正信覚醒運動」の名のもとに、創価学会の誤りを糺す運動を行っておりました。

ところが、詐称法主の阿部日顕と池田大作の策謀によって、正信会の僧俗は宗外に追放されることとなりました。

発足当初よりの正信会の標榜は、昭和56年3月1日の「統一見解」によって示され、以来現在に至るまで、その見解を根本に正信の活動を行っております。

その「統一見解」とは、

一、本門戒壇の大御本尊を断じて否定するものではない。

一、宗開両祖の御教示、御遺訓を正しく弁えられ厳護される法主上人に対し奉っては、血脈付法の大導師と信伏随順申し上げるのは当然であって、我々もそれを心から望んでいるのである。

というものです。

正信会は、本門戒壇の大御本尊を末法における唯一無二の大御本尊様と信奉しており、将来において英邁な御法主猊下が現れた折には、その猊下の指揮のもと広宣流布を成し遂げ、その暁には必ずや宗祖の御遺命たる「国立戒壇」の建立が実現できることを信じ、今は止暇断眠・身軽法重の精神で精進して参ることは、顕正会の正義と些かの違いはありません。

過去において、創価学会の策謀によって、御遺命の国立戒壇が否定され、正本堂を御遺命の本門戒壇と偽る教義歪曲が行われ、悲しいかな、宗門も池田大作の権力に諂い日蓮大聖人の御遺命を抛ってしまいました。

それは現在に至るまで継続しており、宗門の僧侶らは些かの懺悔もございません。

私は僧侶になって近代宗門の書物等を読みましたが、昭和47年4月28日、正本堂の意義につき日達上人が述べられた「正本堂は、一期弘法付嘱書並びに三大秘法抄の意義を含む現時における事の戒壇なり」との訓諭は、正直申しまして何度読み返しても理解に苦しむものであります。

その後、当時、教学部長であった阿部日顕が物した書に至っては、顕正会が主張する宗門古来の正論に対しての当てつけの反論書であり、御本仏の御遺命を恐れげもなく破壊したものであります。

日蓮正宗七百年の歴史を振り返れば、稀に正法正義に乱れが見られた時代もございました。

しかし、中興の祖といわれる日寛上人などの英邁な御法主によって、正しく軌道修正されたという歴史がありました。

今の宗門を見るとき、まさに中世の暗黒時代の再来の如く、乱れに乱れております。

その結果、立正安国論の「魔来り鬼来り、災起り難起る」の様相を呈する、いまの日本の姿があるといえます。

その中にあって、顕正会の皆さまが浅井会長の御指導のもと、大聖人の正法を護り、弘め、広宣流布・国立戒壇の実現に向かって精進されていることに敬意を表せざるを得ません。

昭和49年、妙信講は不当な解散処分を受けられながら、いまや二百十万を超す大集団と成られましたことは、日蓮大聖人の御心のまま、些かのブレもなく貫かれる浅井会長の御信心と会員の皆さまの広宣流布を熱願した情熱の証と感銘いたしました。

先日、私も「御遺命守護の戦い」を拝読させて頂きました。

私が僧侶という立場である関係上、松本御能化のお振舞いが大変印象に残りました。

宗門から処罰を受けても、日蓮大聖人の御遺命を堅持し、信念を曲げなかった御姿こそが本当の日蓮正宗の僧侶であると思い、尊崇の念が込み上げて参りました。

そして、「日蓮大聖人ここにましませば何を命じ給うか」との忠誠だけで貫かれた浅井会長の激闘に接するほどに、私は浅井会長に敬意を抱き、顕正会に対する好感を深めております。

それに比べ、池田大作は政治野心から御遺命を歪曲し、その創価学会の策謀に踊らされ、最も大事な大聖人様の御遺命をも曲げてしまった宗門。その両者に対しては悲嘆と軽蔑の思いしか湧き上がって参りません。

今、皆さまには浅井会長という素晴らしい師匠がおられます。

私にも素晴らしい日蓮正宗の僧侶たる師匠がおりました。その師匠から様々なことを学びました。

正信会には、様々な考えを持つ僧侶がおるのも事実ではありますが、私は「国立戒壇」こそが日蓮大聖人の御遺命であると強く確信しております。

今は異なる団体に所属しておりますが、祖道の快復を願い、誤った宗門を糺す同じ目的のもと手を携える日が来ることを、私は切望しております。

今後、御遺命破壊に加担した宗門を富士の清流の時代に立ち還らせ、広宣流布・国立戒壇をも見つめた法戦を展開して参る決意でございます。

今後も浅井会長の御指導のもと、会員の皆さまのご活躍と会の発展を心よりお祈り申し上げます。

令和元年11月

興正院 足立淳正