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コロナ禍における我々の使命

(※この書簡は正信会の全住職に送付したものです。)

コロナ禍における我々の使命

1、「所感」を読んで

先日、山形県鶴岡市の能修寺・矢内総道師(以下「所感筆者」という)より、「所感」と題する書き物のコピーと、その経緯に至る書面が送られて参りました。

所感筆者は、常々正信会内において「戒壇論」について議論をするべきと委員会等で主張されていたようですが、いつの頃からか委員会は教義については議論しない慣習となっているために、所感筆者が意見を提出すれども議題に上らなかったようです。

そこで次に、所感筆者は、正信会報編集室に記事の掲載を依頼されました。しかし、驚いたことに正信会報編集室はその所感の掲載を拒否したと聞き及びました。

掲載拒否の理由が、所感の内容が正信会にとって良くない内容が書かれているので、もっと客観的に文章を書いて欲しい(取意)ということでしたが、私自身その事実を所感筆者から聞き唖然と致しました。

確かに所感筆者の書かれた内容には、実名が多く記されていましたので、それらの箇所を一部訂正すれば問題は解決されると思われます。

問題はそこではなく、所感の内容の大半が過去の正本堂にまつわる当時の経緯が詳細に書かれてあり、それも決して筆者自身の推論ではなく、さまざまな文献を参照し、客観的な事実に従って御自身の意見を素直に述べられたに過ぎません。

その上で、当時、創価学会と宗門が主張した戒壇論は明らかに誤りであり、正本堂建設以前まで代々の貫首が叫ばれていた「国立戒壇こそが日蓮大聖人の御遺命」であると、所感筆者自身が結論付けをされていました。

更には、「所感」という題からも推察できるように、正信会を代表しての公式な見解ではなく、本人の自由意志による意見を述べられたに過ぎません。

このような経緯の中で、何故に正信会報編集室は所感の掲載を拒否されたのか。以前の正信会報巻頭言では、「任意団体であるが故に自由な論議が許され、窮屈な縛りもない、阿部師のような独善者もいない、大変ありがたい環境です」(172号3頁)と、自由な議論ができる環境が任意団体正信会の良さと自負していましたが、今般の所感の掲載拒否に見られるように、自分達の都合の悪い意見は掲載もしない議論もできないのなら、結局、阿部師と同じではないかと言わざるを得ません。

私は以前、「継命新聞第960 号(信仰歳々)」並びに「正信会報172 号『大聖人と日本』」の記事についてと題し、日蓮大聖人の弟子として看過できない正信会報記事について意見を述べましたが、その問題のある記事を今一度再掲します。

「『一期弘法抄』に御真蹟がなく偽作と疑われていることは小僧でも知っている。一般論なら偽作の疑いがある文章は、はなもひっかけないというのに、どうして他の誤りを責められようか。」と。

この一文の他にも幾つか指摘した箇所はありますが、このような意見は、御本仏に対し奉る冒涜というほかありません。

その件につきましては、「所感」にも書かれてありましたので、その文面をそのまま掲載いたします。(以下「所感」より抜粋)

「ともあれ、近年の歴代上人方のお言葉を軽々にして「国立戒壇」論を否定する為に用いた手法は断じて許されるべきではないと思う。顕正会の浅井氏と国柱会の戒壇論を対比するのはいかがなものであろうか。

ましてや「一期弘法抄に御真蹟がなく偽作と疑われていることは小僧でも知っている」として『一期弘法抄』を信じ奉る者を臆面もなく卑下していることは、師は日蓮正宗正信会の僧侶とはとても考えられない。

師の論文は確かに緻密・用意周到に論述されていますが、正宗本来の信仰心と富士門流の教義を学んだ信仰者らしからぬ説を述べるとは、真実を訴える姿勢から程遠く、学識と知識にのみ徹した者としか小生には見る事が出来ないのです。浅はかであろうか。」

「所感」全文の何処を探しても、そこには御本仏・日蓮大聖人の御書を否定する文言は一言も見られません。顕正会が主張するところの「国立戒壇」に賛同する意見が偏ったものとして掲載拒否をする編集室が、一方でこのように大聖人様を卑下する文章は平気で掲載しているのです。

「正信会にとって良い原稿」と「良くない原稿」というものは、一体何を基準としているのか正信会報編集室に是非伺いたいものです。

ともあれ、正信会より国立戒壇こそ御本仏の御遺命と主張する僧侶が出てきたことは、注目に値するものと思います。

2、コロナ禍での我々の使命

末法濁悪の世の中を顕著にあらわしている疫病『新型コロナウイルス』。

この流行によって社会は感染と経済の打撃への恐怖に包まれています。詳細は存じませんが、正信会の寺院・布教所にも新型コロナウイルスの煽りを受けているところもあると聞きました。

それは、正信会だけではありません。日本国中の多くの企業、団体、個人事業までもが大きな打撃を受けております。

一日も早く終息することを願うばかりですが、一方で我々は、何故にこのような疫病が蔓延するのかを世の中に訴えていかねばならぬ使命があるのではないでしょうか。

正信を標榜し、御会式等の行事で常々「立正安国論」を拝読している僧侶としては、末法濁悪であるからこそ「天変地夭・飢饉疫癘」は起こって当然と覚悟を新たにし、このような国家的な危機が「立正安国論」の仰せの通りになっているということ、そしてその原因は何であるのか、解決策は何であるのかを広く、そして強く訴え、苦しむ人々を救って行くことこそが、御本仏日蓮大聖人様の正法を継承する真の仏弟子の使命と考えます。

そのような中、私は元正信会議長・古川興道師が書かれた正信会報173号の「寄稿」を読みました。古川師は、新型コロナウイルスの感染流行に人々は恐怖におののいているその原因(間接的要因)として、日蓮大聖人の教えに対する違背行為と日蓮正宗の混乱を述べられています。具体的には、(イ)正本堂建立の定義、(ロ)阿部日顕師の法主詐称、(ハ)阿部・早瀬合作の管長推戴会議の血脈滅茶苦茶論、(ニ)戒壇の大御本尊直拝の強制、(ホ)御生誕八百年の折伏数ウソ報告(以上抜粋)

等と列挙されています。私も全くその通りと思います。

これら5つの項目のうち、(ロ)と(ハ)については、正信会の数々の裁判の中で、結局のところ阿部日顕師は自身が67代の管長である客観的な証明を裁判所に提示することはできませんでした。この事実は日蓮正宗の歴史の中で正信会の大きな功績と言えましょう。

次に(二)についても、ある者の証言によりますと、現宗門の登山のノルマは大変厳しく、本山より遠隔地でありながらも月に幾度も登山をさせられる苦悩を聞き及びました。(ホ)についても容易に推察できましょう。

(イ)の「正本堂建立の定義」につきましては、直接御本人に確認した訳ではありませんが、先の「1、」のところで述べた所感筆者が直接お話しされたと聞きました。その内容を伺う限り、寄稿筆者と所感筆者が正本堂建立の経緯の中で共通した認識を持ち合わせていることが分かりました。

その他にも、古川師は、社会的な混乱の原因を端的に2項目挙げられていますが、「仏法は体のごとし世間はかげのごとし体曲れば影ななめなり」(全992頁)の如く、本来は日本国を救済すべき日蓮正宗の実態が、濁悪まみれの混乱の一途を辿り、嘘と排他的な宗門のやり方が、そのまま一国に反映されていると確信しています。

この近年、東日本の大震災をはじめ大地が震動すること数知れず。火山の噴火、竜巻、台風、豪雨、そして今般の新型コロナウイルスの疫病。人々は苦しむばかりです。

自然災害だけではない。新型コロナウイルスなどの疫病から世界経済は悪化し、いずれは食料飢饉などが起こると言われています。

その時、37%しかない日本の国の食料自給率でどれだけ民衆を飢えから救うことができましょうか。

物質的な飢えは人心をも蝕みます。自殺者の増加。いじめ・差別。一部の政治家や官僚の汚職・腐敗など挙げればキリがありません。

それらは全て人間の生命に潜む、欲望・瞋り・愚かさなど悪鬼乱入から引き起こされています。

ひいては、自界叛逆・他国侵逼に至るのであります。そしてこの亡国・日本をお救いくださるためにご出現あそばされたのが御本仏・日蓮大聖人であられ、亡国から遁れる具体的秘術が広宣流布・国立戒壇建立なのであります。

正信会報173号「寄稿」の最後に、「来年の御聖誕八百年を迎えるに当たり、日蓮正宗全体で反省と懺悔をしなければ、今後ますます日本や世界は乱れ、特に日蓮正宗は衰退していくでありましょう」と述べられています。

この「反省と懺悔」は、私たちにも言えることです。このまま正信会が宗門を破折せず、一国を諫暁せず、人々を救済せずでは同じように正信会も衰退していくこととなりましょう。

私は前回の書簡の中で、このように記しました。

「私は自ら37年間僧道を歩むなかで、御本仏日蓮大聖人様の御遺命たる国立戒壇を追い求めようとせずにいたことを恥じ、宗祖に反省懺悔すると共に今後の精進を誓いました。それが昨年の『決断』となったのです。『決断』というのは私たちの前にまっさらな未来が開けているということではありません。むしろ、私たちの過去のふるまいが清算されることなのです。今、私たちに求められていること。それは大聖人様に対し懺悔清算を行うことです。今こそ皆さまの決断が試されているのです。」と。

私は、同じく戒壇の大御本尊様を信仰し、日蓮大聖人の御遺命たる国立戒壇を高らかに謳い、御遺命に違背した宗門を糺し、国立戒壇建立を見つめ折伏行を行っている顕正会とぜひ共に闘うべきだと訴えて参りました。

顕正会の浅井会長は、顕正会の月例行事「総幹部会」の指導の中で、現在の日本国の姿を同じく立正安国論と重ね合わせ、末法濁悪の元凶は、御本仏・日蓮大聖人の御大法を清らかに正しく伝持してきた日本で唯一の正系門家(いわゆる宗門)の御遺命違背、極限の師敵対にあると言い切っておられます。

私は、この顕正会・浅井会長の主張が真実であると確信しています。論証と理証と現証が一致している言葉を素直に信仰に当てはめる時、我々の今やるべきこと、将来のあり方も見えて来るのです。

私は、野心や欲望で顕正会に身売りしたのでは決してありません。日蓮大聖人の弟子として、正信会僧侶として堂々と顕正会と共闘して宗門を糺し、国立戒壇建立に向けて精進して行く決意のもと「冨士大石寺正信会」を立ち上げました。

3、最後に(沈黙は与同罪に等しい)

日蓮大聖人様は、「涅槃経に云く『若し善比丘法を壊る者を見て置いて呵責し駆遣し挙処せずんば当に知るべし、是の人は仏法中の怨なり、若し能く駆遣し呵責し挙処せば是れ我が弟子真の声聞なり』云云、此の経文にせめられ奉りて日蓮は種種の大難に値うといへども・仏法中怨のいましめを免れんために申すなり。」(全1307 頁)と仰せになられておられます。

昨今、私の寺院にも宗門法華講員を名乗る者から電話がかかって参ります。その者たちは、名前(本名か偽名かは分かりません)は名乗りますが、所属寺院は名乗らず、とにかく「自分は本山の信者だから正しい」「あなた方は日蓮正宗とは関係ない」「本山から離れた謗法の者」と一方的な誹謗中傷するためだけに電話をかけて来ます。

そのような電話は、昔は創価学会員が殆どでしたが、今やそのような下品で悩乱したような誹謗は宗門の法華講がその役割を受け継いでいるようです。落ちぶれた宗門僧俗に哀れみを抱くとともに、我々は胸を張って正義を主張すれば良いと確信しています。

日本の亡国はもうすぐ傍まで来ています。何の正義の声も上げず、後になって「自分も心の中では賛同していた」と言っても、それは謗法を黙認したのと同じです。

大聖人様は秋元御書に「譬えば我は謀叛を発さねども、謀叛の者を知りて国主にも申さねば、与同罪は彼の謀叛の者の如し」と仰せ給うておられます。沈黙することは非常に楽ではありますが、非常に無責任なのです。我らは辻々に立たれた大聖人様のことを思い、御遺命の国立戒壇建立に向けて立つべきであります。

以上