(※この書簡は正信会の全住職に送付したものです。)
令和2年4月28日

1、私の決意
まずはじめに、私が何故に任意団体正信会を退会し、冨士大石寺顕正会と共闘する道を選んだのかにつきご説明いたします。
貫首本仏論に走る昨今の日蓮正宗(宗門)の現状が益々我々の目指しているものとかけ離れ、宗開両祖の御心を踏み躙る誤った教義解釈と阿部・早瀬の絶対的な権力の中で組織の腐敗が進み、宗内においてこれを諫める僧俗も現れず、これによって益々末法濁悪の様相を現すなか、日蓮正宗を糺す手立てを模索し、日々悩むばかりでありました。
そのような中、私は冨士大石寺顕正会のある幹部と知り合いました。顕正会に対する正信会内の噂を鵜呑みにしていた私は、当初、顕正会のことを、大変危険な思想を持ち、また僧侶を僧侶とも思わないヤクザな教団というイメージを懐いており、当初はあまり親近したくない気持ちでありました。ところが、実際のその顕正会幹部は、非常に物腰が柔らかく、私に対して僧侶として礼節を持ち、また会話の内容からは真摯な信仰の姿勢や教学への取り組みが感じられ、なんと言っても御本仏日蓮大聖人の御遺命たる「国立戒壇」建立を見つめ、日本を仏国になさんとの情熱を持っておりました。
もちろん正信会の僧俗も信念強き立派な方々と認識しておりましたが、昨今においては日蓮大聖人の御遺命実現への思いを滾らす顕正会幹部の姿とはほど遠いものを感じておりました。
できることならば、彼らと共に御遺命実現に戦っていきたいと思い、すぐに私は浅井会長の書物を読みあさりました。すると顕正会は私が想像していたような団体ではなく、我々が正信覚醒運動と称する戦いを行う以前より、大聖人様の御遺命を破壊した創価学会と、池田大作の権力・金力に諂ってそれに加担した宗門を連々と諫めていたことを知ったのでした。
私は、正信会が顕正会の御遺命守護の戦いを正しく理解することによって、ともに宗門を糺す御奉公ができると期待し、幾度も顕正会幹部と話し合いを重ねました。その結果、昨年11月に私の書簡を顕正会の総幹部会で発表し、その全文が顕正新聞に掲載されることとなったのでした。
「広宣流布・国立戒壇こそ日蓮大聖人の御遺命」これを叫ぶことによって、私の今までの暗鬱とした覚醒運動像の雲を払い、御遺命実現に向けた情熱を共有することができたのでした。
しかしながら私の思いは正信会の方々に伝わりませんでした。たとえ正信会のすべての方々が怨嫉しようと、私の気持ちはもう変わりません。一度死にかけて再び蘇った生命の鼓動は、再び臨終を迎えるであろうその一瞬まで、冨士大石寺顕正会とともに日蓮大聖人の御遺命実現の戦いに身を投じる決意を致しました。
顕正新聞2月5日号にて私の「声明文」が掲載されておりますが、今一度、そのコピーを同封いたします。
以下、正信会内で色々な顕正会に対する、また私自身に対する批判を見聞き致しますが、その中で気になった点のみ書かせていただきます。
2、顕正会に対するイメージだけで断言するのはやめて欲しい
私は、昨年より顕正会の幹部と懇談を致しております。正信会の方々なら私の性格をよくご存知だと思いますが、私は疑問に思ったことは納得するまで追求します。
その中で、正信会の各位が、顕正会があたかも反社会的な組織であるというイメージを強く抱いておられる方が多いことに気づきました。
顕正会において、確かに折伏布教活動の中に会員が逮捕されたことは事実です。
しかし、それによって何故に『反社会的な団体』と断定されなければならないのかその意味が私には理解できません。
日本の国は法治国家であることは言うまでもありません。したがって被害者とされる者から被害届が出され被疑者が逮捕されるケースもあるでしょう。しかしそれをもってその被疑者や、その所属団体が犯罪者、あるいは反社会的集団であるかのように見るのは誤った見方です。
被疑者が犯罪者と断定されるのは、送検され裁判で有罪が確定された時です。推定無罪の原則は近代法の基本原則です。
まして、顕正会員の逮捕者のほぼ全員が起訴には至っていないことも判りました。
次に、よく耳にする言葉は「顕正会は公安にマークされている」ということです。これも公安の方から聞いた情報なのでしょうか。
創価学会や宗門の者たちであれば「聞くところによる情報」を基に、印象操作を行うことはあるかも知れませんが、“一切衆生を救済する使命を持つ”と標榜している正信会各位が、まさか人の噂話しで勝手なイメージを事実であるかのように伝えることはあるまいと信じております。
私が知る限り、公安調査庁が国家転覆を画策したオウム真理教の如く顕正会を名指しで危険な団体として注意喚起した事実は一切ありません。
恐らく公安調査庁が発行している「内外情勢の回顧と展望」の平成17年版と平成18年版に団体名を挙げずに顕正会の活動と思しき記述がわずかにあったものを指していると思われますが、平成19年版以降には一切、そのような記述は見当たりません。
もし、上記に挙げた刊行物以外に、そのような記述が存在するというのであれば御指摘をちょうだいできればと存じます。
正信会においても覚醒運動当初、都道府県の公安課が話しを伺いに来たと聞きました。私の師が住職を勤めておりました神力寺にも県警の公安課が数回訪れた事実があり、覚醒運動当初は寺院の近くによくパトカーが止まっておりました。
平成16年3月、神力寺退去の折にもパトカーが止まっておりましたように、国の機関である公安調査庁や各都道府県警の公安課は、もしもの場合に備え、国民の安全と秩序を守るための業務の一環として、一時的に調査を行ったに過ぎないものと思われます。
オウム真理教が国家の転覆を目論み多くの犯罪者を生んだものとは全く異なります。
ゆえに軽々に公安が調査を行った時点で「反社会的団体」と断定することは、逮捕された段階で被疑者を「犯罪者」として扱ったり、税務調査に入られただけで「脱税者」と見るのと同じであり、単に世間的なニュースを見聞きしてレッテルを貼る不見識の者たちと何ら変わりません。
3、宗門は裁判で敗訴しています
平成29年に宗門がビラを作り、その中で「顕正会という団体自体が公安当局からもマークされている危険なカルト教団」と記し、そのビラを不特定多数の者に配布したことで、顕正会がそのビラを作成した栃木県の宗門末寺「誠諦寺」を相手に名誉毀損の裁判を起こしたことをご存知でしょうか。
東京地裁は平成30年1月29日の判決で、「顕正会が過去に多数の逮捕者を出すほどの過激な行動を多く行ってきたこと、現在も数々の犯罪を行っていること、公安調査庁ないし警察の公安部門から危険な団体として継続的に監視対象とされていること」との各事実を摘示するものと整理した上で、「いずれも真実であるとは認められず、また真実と信じるについて相当な理由があるとも認められない」として、誠諦寺に賠償命令を下しました。
この判決が出て以後、宗門側は顕正会に対し、公安が絡むような「反社会的宗教団体」などと呼ぶことは一切しなくなったようです。もっとも、それでも一部インターネットなどの媒体を使って誹謗中傷する非常識な宗門信徒の輩は存在します。
また、平成28年に埼玉県の宗門末寺「本種寺」所属の法華講員らが顕正会を誹謗するリーフレットを配布し、また、本種寺の公式サイトで顕正会を誹謗する記事を掲載したことから、平成31年3月、顕正会が名誉毀損に基づく損害賠償請求を起こしました。この訴訟も本年2月、本種寺が敗訴しています。
その判決のなかで「顕正会という団体自体が、公安当局からもマークされている危険なカルト教団」等との摘示事実を「真実であるとは認められない」と判示し、宗門発行のリーフレット等の記載は事実無根としています。
さらに、判決は、たとえ本種寺等の信徒らが真実である旨を信じたとしても「そのことについて相当の理由があったとも認められない」とし、さらに「危険なカルト教団」との記載についても「その前提となる事実につき真実性ないし真実相当性が認められないため、違法性は阻却されない」と判示し、顕正会が全面勝訴しております。
今般、正信会の広報である正信会報(172号)に「浅井昭衛氏の号令一下、強引な勧誘で逮捕者を出して公安からマークされるなど」(3頁)との記述がありましたが、上記宗門寺院の如く訴訟にならないことを祈っております。
4、正信会報(172号)巻頭言について思うこと
上記3におきまして正信会報の内容に触れましたので、ついでながら私自身のことと思われる正信会報の記載内容の所感を述べることと致します。

正信会報巻頭言を書かれた辛島温道師(以下「筆者」という)は、記述内で私のことを「A師」と表記して、お気を遣って下さっておりますが、誰もが私と容易に推認できるものをわざわざ名を伏せるのは単なる嫌味にしか読めません。
また筆者は私よりもはるかに先輩であり、旧知の間柄でもありません。筆者は巻頭言中に宗教法人正信会のことにつきましても御批判をされておりますが、私は宗教法人正信会と分裂する以前より法人取得による経緯や組織の在り方など、委員会において真剣な議論を致しておりました。その時も、私は法人側の人達からかなりの御批判をちょうだいしておりました。そのような苦境の中で常に味方をしていただき励ましのお言葉をちょうだいした御先輩方や同僚達に対する感謝の思いは今でも忘れません。
しかし、当初において筆者よりそのようなお言葉をかけてもらった記憶はなく、私は筆者のことをずっと法人側の方かと思っておりました。
したがって私は筆者と日頃から電話で会話をすることもありませんでしたので、筆者が書かれております電話の日時や会話の内容ははっきりと覚えております。
はじめにお電話をちょうだいした理由は、顕正会の会員が、私が顕正会に宛てた書簡を持って筆者の寺院の信徒宅に訪れて来たので大変迷惑をしているとのことで、そのときの筆者はたいへんお瞋りの御様子でした。私は滅多に話しをしたこともない御先輩よりお電話をちょうだいし、しかも御立腹の様子ということであれば、それが深夜の時間帯であろうが丁寧に説明をしなければならないと思い、これからの正信会に対する憂いと、様々な経緯等について説明をさせていただきました。それが不本意にも「自慢気に」話しをしたと受け止められたことは非常に残念です。
また、カギ括弧で括られているようなことを私が言ったか言わなかったかということはもはやここでは言いませんが、私は顕正会の理事長の名前を間違えるようなことは決して言いません。
結局、このようなミステイクな記述も筆者の過去の顕正会に対する印象や思い込みから生まれるのではないかと私は思うのです。
また私は筆者と電話を致しました最後に、「御住職は今の正信会がこの世の中で唯一正しく真っ直ぐ歩んでいる宗教団体だと胸を張って言えますか」と質問させていただきました。すると筆者より「反省すべきところは反省しなければならない」との御返事をいただいたことは大きな衝撃でした。要するに正信会のことを「正しい団体」と正々堂々と主張できないということではないでしょうか。
私は、信心をするうえで最も肝心なことは「大聖人様の御眼を恐れること」と思っています。胸を張って唯一正しい団体と主張できない御先輩の後ろをどうして歩むことなどできますでしょうか。
5、最後に思うこと
正信覚醒運動当初、たとえ大きな組織や権力から怨嫉や迫害が来ようとも私どもの御先輩方は大聖人の正法を訴える覚悟で運動を行って参りました。
今、顕正会は大聖人の御心のままに御遺命の「国立戒壇」を叫び、それゆえに大きな怨嫉を受けております。正法を訴えれば訴えるほど大きな怨嫉を受けることは、大聖人が御書の至るところに「猶多怨嫉・況滅度後」の経文を引かれ説かれている通りです。
顕正会が大聖人の正しき御心を顕し、もしそれによって公権力から目を付けられているとしたら、それは『反社会的宗教団体』などではなく『大聖人の御心のままの正しき団体』だからではないでしょうか。
恐らく、創価学会・公明党は公権力を使い、顕正会を迫害しようと公安警察を動かしているものと私は思っています。
現に、創価学会元顧問弁護士の山崎正友が、昭和49年10月に起きた「創価学会本部乱闘事件」の舞台裏を後年、文藝春秋発行の「諸君」(昭和56年8月号)に赤裸々に暴露しています。
「更には敵対勢力を金で買収したり、ひそかに破壊工作の謀略をしかけるところまで、創価学会は成長しました。もちろん、警察もふんだんに動かしました。一番印象にのこっているのが、妙信講青年部による創価学会本部なぐりこみ事件といわれた事件でした。妙信講に対して暴力宗教団体、右翼団体のレッテルをはるために苦労しました。たしか昭和49年10月だったと思いますが、〝明日、妙信講の青年が創価学会本部に押しかけ、無理やりに構内に押し入って抗議文を手渡す予定〟という情報が、妙信講に潜入したスパイから伝えられました。早速、警察と相談です。その結果、〝乱入させないように警察によって阻止する〟というのではなく、〝乱入させておいて逮捕させる〟という方針を決めたのです。……警察はいつでも学会の味方でした。……謀略と政治の圧力で、被害者を加害者に仕立て、国家権力を利用して弾圧するというやり方は、創価学会の十八番でした。……この事件について、創価学会側が文書やくちこみで大々的に宣伝し、妙信講に対して〝暴力集団〟のレッテルをはることに成功したことはいうまでもありません」と。
当時、妙信講の学会本部に対する抗議行動は、すべて池田創価学会が顕正会を貶めるために仕組んだものであったのです。それを池田創価学会の謀略を鵜呑みにして、今の世に至ってもなお「公安からマークされる大聖人の御名を辱めて恥じない顕正会」などと宣うは、それこそ大聖人様の御眼を恐れもしない愚かな主張という他はありません。
正信会報の巻頭言で、感情に走り、法人側や私の悪口を言い、創価学会の策謀にまんまと乗せられ、イメージだけで顕正会を批判して、一体誰が喜ぶのでしょうか。今ごろ宗門や創価学会は手を叩いて喜んでいることでしょう。
正信会が「自由な議論と窮屈な縛りのない」ことを売りにすることは大変結構なことではありますが、「正信」とは何かを忘れた、愚鈍で稚拙な原稿を掲載するまで落ちぶれてしまったのかと嘆かわしい思いです。
顕正会は顕正新聞等で日蓮大聖人に背くゆえに亡国を迎える現在の日本について鋭くメスを入れ、ことに「神の国」を作ろうと企む「日本会議」に牛耳られた現安倍政権に対しても強く諫められております。それによって三類の強敵のうち俗衆・道門の増上慢は既に起こり、最後の僭聖増上慢による迫害が必ずややって参ります。
正信会が大聖人の御心のまま正法を世に訴えていると自負できるならば、何故に法華経の御文の如く三類の強敵が競い起こって来ないのでしょうか。
大聖人はその一代御化導の中で、平左衛門尉らから数々の御法難を受けられました。平左衛門尉は当時の警察・公安の親分でありました。大聖人様や熱原の法華講衆は『反社会的宗教団体』だったのでしょうか。
私はこれからも大聖人の御心を体し、恥ずかしくない主張と行動を取って行きたいと決意致しております。
6、追伸
最後に、正信会の特に二世と呼ばれる立場の諸師に訴えたいことがあります。私は正信会にいる時は、自ら様々な主張を行い、それによって多くの御批判をちょうだい致しました。
今、正信会を出て、自らの責任で顕正新聞に書簡や声明文が掲載されるや、宗門より大きな迫害を受けることとなりました。貴師達も読まれたとは思いますが、妙観講が編集していると言われる謀略新聞「慧妙」に二度ほど名指しで書かれ、そのいずれも、日蓮正宗とは関係のない似非僧侶と言われております。これが現実です。正信会で出家得度した僧侶は宗門とは無縁の者と見做されているのです。どうかこれからも私をどんどんと叩く愚かな宗門広報紙を読まれ、現実を受け止め、今後のことを真剣に考えていただきたいのです。
今の正信会の現状のままで満足ですか。正しき宗教団体と世間に胸を張って叫ぶことはできますか。将来に希望を持っていますか。そして、いずれ二世僧侶だけになった時、何を訴えどんな行動を起こせば良いのか考えていますか。
私どもの最終の目的は御本仏・日蓮大聖人の御遺命実現です。それには池田大作に諂い御遺命を捨てた日蓮正宗宗門が「国立戒壇」を宣示しなければなりません。そして、上一人から下万民に至るまで一同に南無妙法蓮華経と唱うる広宣流布をなしたうえで、「国立戒壇」を建立し、戦争・飢餓・疫病等の三災七難のない仏国土を実現させなければならないのです。これが大聖人様の究極の大願であられます。
宗門僧侶も今は世代交代が起きています。彼らは本山に閉じこめられ大学にも行かされず洗脳教育を受け、同じようなことしか言えないロボットのような僧侶です。彼らは貫首をはじめ上層部から、顕正会・正信会・創価学会の非難をすることばかり叩き込まれているようです。僧侶には本来、人々を善導する使命があるにもかかわらず、とにかく「謗法だ」「地獄行きだ」「血脈批判だ」と壊れた機械のように繰り返すだけのマシーンです。
彼らに比べれば、正信会二世僧侶方はその数倍も聡明と確信しています。「井の中の蛙大海を知らず」ではいけません。
そこに私は、冨士大石寺顕正会と共闘する意志を表し、正信会僧侶のまま大聖人様の御遺命たる「国立戒壇」実現に向け、前進していくことを決意した次第であります。
正信会各位におかれましても、ただただ大聖人様の御眼を恐れ、正しき道を歩むことを切に願うものであります。