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正信会とは

正信会は、昭和52年(1977年)より創価学会の独自路線に危機感を抱いた日蓮正宗の活動家僧侶が「正信覚醒運動」の名のもとに、創価学会の誤りを糺す運動を開始したのが出発でありました。

ところが昭和54年(1979年)、日蓮正宗総本山第66世・日達上人の突然の逝去の後、自己申告で登座した詐称法主の阿部日顕師と池田創価学会の策謀によって、活動家僧侶は宗外に追放されました。

それらの活動家僧侶によって昭和55年(1980年)に結成されたのが正信会であります。

その後、正信会は、阿部日顕師の法主詐称と阿部宗門の誤りを糺すべく、法廷による訴え等を起こして参りました。

しかし、その正信会において、あろうことか御本仏・日蓮大聖人の出世の御本懐にてまします本門戒壇の大御本尊様に対し奉る信仰を巡って意見の対立が起こりました。

また、将来にわたって教団を持続するための宗教法人化が必要という者と、それに異を唱える者とで対立が深まり、平成23年(2011年)には「日蓮正宗正信会(任意団体)」と「宗教法人正信会」とに分裂しました。そのどちらにも所属しない「中間派」と呼ばれる者も存在します。

このように混迷を極めた正信会は、現在、存在価値そのものが問われていると言えます。

その根本的な原因は那辺にあるのでしょうか――。

この答えは、御本仏・日蓮大聖人を忘れ奉っているところにあります。

そもそも昭和52年に端を発した正信覚醒運動の本質とは、日達上人を旗頭とした創価学会の教義逸脱を糺すための運動でした。

しかし、昭和52年より遡る昭和40年代より、その日達上人自身が、池田創価学会の金力・権力に諂い最も重大な御本仏の御遺命たる「国立戒壇」を否定し、偽戒壇・正本堂の誑惑に加担する重大な師敵対を犯していたことに気付かされました。(参照:基礎教学書 第十章 御遺命守護の戦い

第二祖・日興上人は

「時の貫首たりと雖も仏法に相違して己義を構えば、之を用うべからざる事」

と仰せになっておられます。

かかる日達上人を担いでいる正信会も自ずと師敵対に陥っていることは自明であり、ここに正信会の限界があるのです。

所詮、正信会は「日蓮正宗正信会(任意団体)」「宗教法人正信会」「中間派」と分裂すれども、その悉くが御本仏・日蓮大聖人の御眼を恐れぬ無道心となってしまっているのであります。

これは正信会に限らず日蓮正宗も同様で、今なお国立戒壇を否定し、御遺命に違背し続けております。

「我が弟子等の中にも信心薄淡き者は、臨終の時阿鼻獄の相を現ずべし。其の時我を恨むべからず」(顕立正意抄)

「又吾一門の人人の中にも信心も・うすく日蓮が申す事を背き給はば蘇我が如くなるべし」(四条金吾殿御返事)

御本仏・日蓮大聖人に背き奉るならば、たとえ時の貫首であろうとも出家・信徒を問わず無間地獄に落ちると大聖人様は厳しく誡め給うておられます。

この濁乱の宗門において、本門戒壇の大御本尊を末法における唯一無二の大御本尊と信奉し、将来において英邁な御法主猊下が現れた折には、その猊下の指揮のもと広宣流布を成し遂げ、その暁には必ずや大聖人様の御遺命たる「国立戒壇」の建立が実現できることを信じ、令和2年(2020年)、「冨士大石寺正信会」を立ち上げるに至りました。

冨士大石寺正信会は、信仰と志を同じくする冨士大石寺顕正会とともに、師敵対に陥った現在の宗門(日蓮正宗)ならびに正信会を糺すとともに、御本仏の御遺命たる国立戒壇建立に向けて共闘して参る所存であります。

冨士大石寺正信会 足立淳正